昨夜、2024年2月28日22時半頃、父が亡くなったと姉から電話があった。私はもう寝ようと思っていたところだった。???と眠い目をこすりながら、一瞬にして受け入れがたい現実から目を背けたい気持ちでいっぱいになった。
ぶつ切りの睡眠ながらも少しは眠れ、6時半に目が覚めてすぐに着替え、7時前には家を出て、8時前に戸塚警察に着いた。警察→葬儀社と、段取りよく事が進んでいった。監察医により2月25日夜が死亡時刻だと判明すると、私たちは父の家に行き役所にもっていく保険証やカード関係を探したり、電話でもろもろを止めたりした。
父とは連続ドラマになるくらい、本当にいろいろあった。これを打っている間ももう会えない、話ができないことが信じられない。自覚するために私は遺体の顔写真を撮影して、何時間か置きに見ている。見ると実感が沸く。悲しくなる。もっといい別れ方をしたかった。どうして、、と過去の色んなことを思い出したり、どうすることができただろうと考えたりしても、できるだけのことをお互いその時にしてきて、お互いに不器用ながら頑張った。だから後悔する必要はない、と自分に言い聞かせている。
鎌倉に戻ってまっすぐ帰らず、鍼灸治療を受けにいった。いつもお世話になっているカウンセラーや、ORIMEの社長にもメールをした。私のまわりに、ご縁の深い方たちが数名いてくれる。私にはやることがあって会ったり連絡を取り合う人がいる、今のこの場所が私の生きる場所だ、と再認識すると、少し前向きな気持ちになれる。
去年の夏に父がコロナにかかって、姉と久しぶりに会って関係が修復できたようになって、私はとても気分が楽になった。その時の父は、私たちが雁首並べて自分の前に揃って座り、自分の心配をして自分のために動いているのを見て、顔がほころんでいるように見えた。その数か月後に電話して、「どうしてるかと思って電話した」と言ったら、はじめて、「電話くれてどうもありがとう」と言ってくれた。これにはびっくりした。やっとそういう事を言ってくれた、と嬉しくてほっとした。ちゃんとこういう事が半年前にあったんだ。私たちはみんな、ちゃんとやったんだ。
お父さん、本当に迷惑をかけました。面倒をみてくれて、甘えさせてもくれて、いろんなこと、本当にどうもありがとう。私のためにお金もいっぱい使わせてしまった。遺品を見て、あなたには、私たちしかいなかったように見えました。私たちのいないお父さんの世界の進化は何も感じられなかった。私たちにはそれぞれの道でそれぞれの人間関係、思い出、道ができたけど、父にはどうやらそれがなかったようだった。仕方のないことだったけど、父に愛想を尽かして一緒に住んでいた家を勝手に出た私には少なからず罪悪感がある。でもその時はどうしようもなかった。その後関係が徐々に修復されていき、もっと仲良くしたかったのに、させてくれない父にいつも心を痛めていた。楽しいことが何一つない、と父はよくもらしていた。父は不幸だったのか??? 理解できないことだらけの人だった。父の心中の憶測なんぞ、上から目線の幻想でしかない。それに、ぜんぶ、仕方ないんだ。ぜんぶぜーんぶ、世の中仕方のないことばかりだ。まだ会えないこと話ができないことが信じられない。もう少し話をしたかった。もっと優しくありたかった。最後に一緒にご飯を食べに行きたかった。